所在地:球磨郡あさぎり町免田西1579
駐車場:あり
おかどめ幸福駅の近くにあるほうの鳥居。
駅に近いところからのぼると公園があり、地元の老若男女たちの憩いの場のようでした。
裏手のほうにある鳥居。
こちらからも行けますが、おかどめ幸福駅のほうから行く人が多いと思います。
由緒が書かれた石板。
クリックすると大きいサイズで見れますが、ところどころ字が見えにくくなってます><
当神社の始まりは、鎌倉時代に起こった蒙古(もうこ)襲来に関係しているといわれています。
大陸の超大国、元の皇帝フビライが日本に入貢を求めましたが、鎌倉幕府は拒否しました。
そこで、元は文永11年(1274年)に、壱岐・対馬に侵攻し、博多に迫りましたが敗退しました。
元は、弘安4年(1282年)、再び日本に来襲しましたが、またも敗退しました。
この蒙古襲来の二度とも大風が起こって元の艦船が沈没するものが多く、元が敗退する大きな要因になったといわれます。
この弘安の役の前年、日本に戦乱が起きるのではという緊張がはしっていた頃、球磨郡の当主第四代相良頼俊が元をこらしめ、国家の保安を祈るために岡留神社を建立したと伝えられています。現在の社殿は、昭和6年に造営されました。
現在の境内中段の東側には、切妻(きりつま)屋根の二所権現があり、この神殿が岡留神社の本殿です。
この神殿には、神像として六体が祀られています。
二体には、享保十年(1725年)の銘、二体には、承応二年(1653年)の銘がありますが、他の二体は、無銘です。
その他にも、毘沙門天像二対と牛頭天王像があります。また、境内中段の西側には、農家の雨乞いの神として祀られている雨宮があり、大黒天一体、尊名がわからない神像座像四体があります。
この社は、通称岡留台地に建てられており、周辺一帯は古代遺跡で、縄文、弥生期の土器の破片がよく出土します。
また、社の東方には、中世期の城跡も残っています。
その他、拝殿の西側に五輪塔が約十基程残っていますが、銘がないのでいつ頃のものかは、はっきりしません。
(熊本県庁HPより引用)
感動度 ★★★★
木々の多い神社や周りの雰囲気がよかった^^